カーネルグループのちょっとした昔話
1985年6月、ソフト開発の専門会社として、マンションの一室で株式会社カーネルコンセプトが産声を上げました。東証1部上場の大手企業のエンジニアの職を捨てて独立した若き2人のエンジニアの夢のスタートでした。もっとも会社といっても当時の社員は社長の水野と専務の柿崎の2人だけでした。(いづれも当時の役職)
■設立2年半後には3階建の本社ビルを竣工させる
3階建の本社開発ビル「カーネルセンター」は、1987年11月に竣工しました。会社設立後まだ2年半程の時期でした。しかし、ソフト産業の急速で力強い成長を予測するとともに、人材の育成、技術力の向上、ノウハウの蓄積等には優れた開発環境が必要との判断に基づくものでした。また、開発拠点も津(三重県)、大垣(岐阜県)、刈谷(愛知県)、春日井(愛知県)に設け、設立6年後の時点で社員数が180名を超えました。以来、名古屋地区で中堅の独立系ソフトハウスとして高い信頼を築いてきました。現在、主な開発拠点は、本社、名古屋駅、東京、福岡にあります。
■人材を育成し、技術を蓄積し、いざ次なる飛躍へ
当社のソフトウェア開発の実績をさかのぼると、組込みソフトウェア、工場の自動化、流通の自動化、生産ラインの制御監視、自動計測、データ分析、CADシステム等、組込み分野、FA(ファクトリーオートメーション)分野、LA(ラボラトリーオートメーション)分野が主体でした。これらの分野でのソフト開発には、ユーザー企業との密接な連係が欠かせず、開発拠点の整備充実は顧客サービスの向上に重要な役割を果たしてきました。そのかいあり、人材の育成、技術力の向上、ノウハウの蓄積が順調に進み、このまま行けば株式のジャスダック公開も夢では無いかもしれないとかすかな期待を抱いたこともありました。
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■バブル経済崩壊を転機に普通でないシステムハウスに
1991年のいわゆるバブル経済崩壊の後、ソフトウェア分野でも企業倒産やリストラの嵐が吹きあれました。当社も本社と大垣営業所を残して総て撤退し、社員数も100名程度まで減少しました。カーネルコンセプトは幸いにも生きのび、新しいビジネスモデルを求めて、5つの経営戦略を立てました。1.ネットワークを意識したソフトウェア開発の技術力を高めること、2.組込みシステムの技術力を高めること、3.営業力と組織力を高めること、4.採用を多様化し企業の活力を高める、5.ベンチャービジネスとして世の中に役立つ新規のビジネスを開始することの5つでした。
■営業力と顧客満足度を高めるために販売を専門とする事業部を設立
「営業力を高め、顧客満足度を高める」と言う方針の基に1992年頃からさまざまな商品の小売や卸を手がけて来ました。試みに輸出入も自分たちで行いました。そうした中で出会った商品の一つが、カシオの事務処理専用のコンピュータでした。1セットが250万円くらいの商品です。1995年に本格取り組みのために、情報機器販売事業部が設立され、2年後の1997年3月には月間販売台数50台を記録し全国一に輝きました。「営業力と顧客満足度を高める」という経営方針の一つを確実にものにしてきました。
■企業は人なり、継続は力なり。中断せず毎年積極的な人材の採用で、ネット時代の企業力・競争力を高めてきました。
バブル経済の崩壊後、各社が新卒の採用を中止するなかにあって、当社では苦しい中でも新卒を毎年採用し続けました。この時期に入社した学生には、優秀な人物も多く今では当社の中堅として活躍しています。現在も積極的な採用活動を推進しています。また、終身雇用制度が崩壊し、既にキャリアを積んだ優秀な技術者で転職を希望するエンジニアの採用も積極的に進め、新旧エンジニアの相乗効果で技術力のレベルアップを図っています。
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